社員ブログ   ブラ旅47

こんにちは。ブランディング企画室です。

 

GWが明け約1週間が経ちました。今年は帰省せずのんびり過ごした方も多かったのではないでしょうか。

こういうときだからこそ、身の回りや自身を見つめ直す良い機会と捉えたいですね。

 

さて、今週もブラ旅47番外編お届けします!

 

————————————————————————————————————————————————

 

★ブラ旅47とは…

大和グラビヤのブランディング企画室が日本全国47都道府県の旅に出る企画、

略して「ブラ旅47」!

全国各地の食べ物やお土産や工芸品・・・それらを作っている人たちとの出会いや、

その体験で感じたことや得たものを旅の記録として綴っています。

 

★ブラ旅47番外編とは…3つのポイント!

①新型コロナウイルスの影響で、ブラ旅を一旦休止します。(2020年7月末までの予定)

②休止の間、「ブラ旅47番外編」として、大和グラビヤの歴史を紐解く企画を実施します。

③こんな状況だからこそ、出来る範囲で目いっぱい楽しいことをします!

 

————————————————————————————————————————————————

 

前回3週に渡り、創業者・鈴木松二郎の故郷である岐阜県美濃市について、

そして大和グラビヤの前身「美濃紙共栄」が製造していたロウ引き紙についてもお届けしました。

 

大和グラビヤ創業者・鈴木松二郎は美濃和紙が身近だったことから紙を使用した仕事を始めようと考え、

戦後に美濃紙共栄を設立したという歴史があります。

 

無題

 

一方当時の名古屋は駄菓子王国と呼ばれ、菓子の産業が盛んであったことから

名古屋にてキャラメル等のお菓子の包紙や紙器の製造を始めるようになりました。

 

駄菓子王国・名古屋に会社を構えた大和グラビヤ。

今では食品から化粧品まで様々な軟包装パッケージを扱っていますが、

会社の土台を作った駄菓子の存在は欠かせません。

そこで今回は当時の大和グラビヤと駄菓子についてお届けします!

 

 

1.大和グラビヤと駄菓子

 

太平洋戦争による食糧不足のため食品の統制が強化されていた日本。

1949年に砂糖の統制が撤廃されキャラメルなどの自由販売も認められるようになると、

キャラメルを作る小さな会社がたくさん誕生し、

その供給に合わせるように駄菓子屋が増えていきました。

 

同じく1949年、大和グラビヤの前身である美濃紙共栄は

名古屋市中区重町(現在の袋町通り沿い)でロウ紙・紙器製造をスタートさせ、

1954年に名古屋市北区金作町(現在の柳原町)に「金松産業(株)」を共同設立。

ロウ紙製造設備を整え、キャラメル箱、キャラメル包み紙、

食パン包装を中心に製造するようになりました。

 

スクリーンショット(2020-05-12 11.14.59)

 

金松産業はオフセット印刷は行っておらず、印刷された紙をトムソンで型抜きし、

ホチキスを大きくしたような機械でお菓子の箱を作っていたそうです。

お菓子の箱と言ってもきれいな箱ではなく、当時はバラバラのキャラメルや

キャンディ等を入れる程度の箱だったのだとか。

 

image0

 

当時の名古屋は駄菓子王国だった為、ニーズも高く大盛況していたそうです。

駄菓子の黄金期だった昭和初期、時代の流れに沿うように

駄菓子の包紙や箱を作っていたのですね。

 

1957年ついに名古屋市北区七夕町に「大和グラビヤ(株)」を設立。

グラビヤ輪転機による印刷業を開始させます。

その後次第にセロファンの時代に突入し、時代を反映するかのように

グラビヤの包装に適した商品がたくさん流通し始めました。

 

1961年名古屋市守山区にラミネート工場を新設。

主に粉ジュースやラーメンスープの包装材を中心に取り扱うようになり、

そのうち菓子箱を製造していた金松産業も、新しくプラスチックの成形品(フードパック)の

製造を開始することとなりました。

 

紙からプラスチックへ。10年も経たないうちに目紛しくパッケージが変わっていく中、

こうして大和グラビヤも紙から現在へ繋がる軟包装資材へシフトチェンジしていったのでした。

 

 

2、粉ジュースを買う

 

上記で「セロファンの時代に突入しグラビヤの包装に適した商品が流通し始めた」と書きましたが、

「グラビヤの包装に適した」とはどういうことなのでしょうか?

セロファンの時代に突入し粉ジュースの包装材を扱っていた大和グラビヤ。

粉ジュースってどんな感じでしたっけ?

色々疑問が浮かんできたので、早速久々の駄菓子「粉ジュース」を買ってみました!

 

image0[1]

 

駄菓子パッケージ特有のコントラスト強めな写真がレトロな雰囲気を生み出しています。

さりげない「made in Japan」の主張も憎めません。

 

image1[1]

 

中身を取り出してみました。粉末状でほのかにクリームソーダ風な香りがします。

舐めると意外とすっぱい味がしました。なんだか懐かしい!

幼い頃よく通っていた駄菓子屋を思い出します。。。

 

image1[2]

 

前回作成したロウ引きのキャラメル包み紙。

確かにロウ引き紙だと粉末状のものや液状のものは溢れてしまいそうです。

軟包装は粉末や液体をしっかり包むことができます。

セロファンを扱えるようになったことで、キャラメルから粉ジュースや

ラーメンスープへと包める品の幅も広くなったのですね。

 

image0[2]

 

せっかくなので炭酸水で割ってみました。

鮮やかなグリーンと炭酸の気泡が爽やかさを醸し出しています。

味は甘酸っぱく、エナジードリンクのような味に近い。。。?

気になる方は是非お試しあれ!

 

 

3.おわりに

 

今回は当時の大和グラビヤと駄菓子についてお届けしました!

大和グラビヤの時代背景と駄菓子の時代背景が見事にリンクしていることに、

面白さと時代の流れに乗る企業努力を感じました。

名古屋で駄菓子と言えば、全国最大規模である駄菓子問屋「明道町」。

今回はタイミング悪く足を運ばせることが出来ず悔しい。。。

機会を待って是非行ってみたいです!

 

次回は大和グラビヤの原点となったキャラメルのパッケージを作ってみたいと思います!

作るなら少し特別感のあるものを。。。

5月22日(金)更新予定です。お楽しみに!

 



-----------------------------------


採用に関する詳細はこちらから


-----------------------------------