皆様こんにちは!ブランディング企画室です。
前回のブログを発信する前に、全国的に緊急事態宣言が解除されましたね。
とは言え、完全に新型コロナウイルスが終息した訳ではありません。
弊社も色々な事に気を配りながら、次の段階に進んでいます。
自分も鈍った身体を使える状態にする為、ウォーキングを始めました。
筋トレも頑張っていますが、思った以上に筋肉が落ちていまして・・・。
少しスクワットをするだけで、産まれたての小鹿・・・は可愛過ぎるな・・・。
兎に角、産まれたてのナニかの様な状態になってしまいます。
自分も早く次の段階に進みたいです。
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★ブラ旅47とは…
大和グラビヤのブランディング企画室が日本全国47都道府県の旅に出る企画、
略して「ブラ旅47」!
全国各地の食べ物やお土産や工芸品・・・それらを作っている人たちとの出会いや、
その体験で感じたことや得たものを旅の記録として綴っています。
★ブラ旅47番外編とは…3つのポイント!
①新型コロナウイルスの影響で、ブラ旅を一旦休止します。(2020年7月末までの予定)
②休止の間、「ブラ旅47番外編」として、大和グラビヤの歴史を紐解く企画を実施します。
③こんな状況だからこそ、出来る範囲で目いっぱい楽しいことをします!
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弊社の歴史と併せて、縁のある土地やモノについてお届けしている「ブラ旅番外編」。
今回は、先週のブログの最後に話題が出た「味噌」の包装についてピックアップ!
プラスチックフィルムのパッケージで包まれた味噌を近所のスーパーで購入する・・・という
現代のような形になる前は、どのような状態で入手していたのでしょうか。
1974年以前の味噌の購入事情(?)について、家族に聞いてみたところ
「一番古い記憶だと・・・確かお味噌は酒屋さんに使う分だけ買いに行っていた。」との事でした。
ここで一つ疑問が。
購入した味噌を「何」で包んで持ち帰っていたのでしょうか。
当時は便利なプラスチックフィルムもケースも無かった訳ですよね・・・。
1.味噌を包んでみよう!
この疑問を母(60代)に質問したところ、
「お店の人に欲しい量を伝えると、大きな樽から分けてもらえた。
フィルムっぽいシートで味噌を包み、その上から新聞紙で包んで渡してくれた。」
という、シンプルな回答が返ってきました。
手掛かりは、自分の家族(母)への取材内容のみ。しかも1960年代頃の記憶です。
なんとも心もとない情報ではありますが、包装の歴史を紐解く為にも
ここは一つ身内の言葉を頼りに、当時の様子を再現してみる事にしました。
プラスチックフィルムのパッケージが主役になる前の、味噌の包装。
一体どんな状態に仕上がるのでしょうか。
まずは、現在流通している様々な味噌を用意してみました!
愛知県内のスーパーで購入したのですが、色々な種類の味噌が棚に陳列されており
購入する人の好みで自由に選ぶ事ができます。
購入した味噌を並べたのですが、地元(愛知県)で愛され続けている赤みその存在感が半端ない!
袋のマドからチラリと覗く、味噌の色が濃いです!!
これは・・・赤みそを初めて見た方は驚くかもしれません。
味噌の種類もさることながら、包装形態も様々です。
ガゼット袋(ガゼット袋とは=マチが付いた袋のこと)にプラスチック容器、
インスタントの味噌汁は小袋に入っています。
もちろん今では当たり前の事なのですが、味噌とパッケージの歴史を思い返すと
沢山の種類の味噌が並んでいる棚を見るだけで「便利な時代だなぁ」と少し感動してしまいました。
今回、樽に入った味噌も購入してみました。
大分県の麦みそです。
開封してフタを取ると、途端に樽と味噌の良い香りが!
昔、味噌を売っていたお店でも、きっとこんな風に良い香りが漂っていたんでしょうね。
せっかくなので、この大分県の麦みそを使用して1960年代の包装を再現してみようと思います。
2.再現スタート
「フィルムっぽいシート」は、年代的にセロハンを使用していたのだろうと考えました。
が、残念ながらセロハンが用意できなかったので・・・市販のラップで代用します。
まずは、味噌を約400gほど分けます。今回は手元にキッチンスケールも無く、ココはざっくり目分量です。
うーん。こんな感じかな・・・。
「フィルムっぽいシートで味噌を包み、その上から新聞紙で包んで渡してくれた。」との事なので、
ラップで巻いた味噌を更に新聞紙で包んでみました。
新聞は、社会人御用達 日本経済新聞社さんの朝刊を使用しました。
ジャーン!
・・・ 量に対して包む新聞紙が大きかった為か、何だかモッサリとした仕上がりになってしまいました。
これでも一応、再現完了です。
正解なのかな・・・コレ・・・。うっすら不安になる、なんとも不思議な仕上がりです。
母に仕上がり画像を見せたところ「当たらずとも遠からず。そんな感じ。」というコメントを頂きました。
どうやら記憶に近い状態だったようなので、これで完成!という事にします。
祖母は当時、こうやって簡易的な包装で自宅に持ち帰り、違う容器に移し替えて使用していたようです。
発酵食品という事もあり、涼しい場所であれば常温で保管ができる為
容器に移し替えず、この簡易包装のまま自宅で保管している人もいたみたいです。
「プラスチックフィルムが一般的になる以前の包装」は、とてもシンプルで簡素。
この包装では、全国に向けて美味しさと安全をキープした状態での発送が難しい事がわかります。
シンプル過ぎて、味噌の種類も内容量も原材料もわかりません。
昔は味噌を作っている店との距離も近く、互いの信用で成り立っていた商品情報の伝達も
こうなると、とても必要ですね。
心もとない包装に、何とも言えない不安がよぎります。
3.パウチしてみる
最後に現在の包装の主役、プラスチックフィルムの袋に味噌を入れてみたいと思います!
手元にチャック袋があったので、こちらにラップで包んだ味噌を入れてみました。
専用の機械でしっかり閉じてしまいます。
バーンッ!!
主にスーパー等で販売されている状態とは異なりますが、しっかり包装されました。
何だろう、この安心感。
印刷までは出来なかったので、せめて手書きで内容物の情報を書いてみます。
黒のマジックで書きましたが、味噌の色と相まって読みづらい事この上ないです。
せめてシロのマジックで記入すれば良かった・・・!!
パッケージは「中身を劣化させる事なく安全な状態をキープさせる事が重要!」と思っていましたが、
中に何が入っているのかを伝える為のデザインや印刷も、とっっても重要である事を再確認しました。
4.おわりに
1960~1970年代は日本が劇的に変化していった時代です。
紙・セロハンから、プラスチックフィルム。
まとめる・包む から、安心・安全へ。
様々なモノやコトが凄いスピードで変わる中で、パッケージが担う役割も大きく変化しました。
高度経済成長期と共に大きく変化していった物流を、大和グラビヤはパッケージという形で支えていきました。
ブラ旅番外編では、そんな弊社の歴史を通じてパッケージの移り変わりをお伝えしたいと思います!
さて次のブラ旅番外編は・・・
1970年代に味噌と同時期に挑戦した、「漬物」の包装と弊社の歴史について紐解きます。
次回の更新は6月12日。お楽しみに!
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